2014年12月16日火曜日

インドの智慧を、混迷する日本社会でどう生かし、どう生きるべきか?

解決策は「giving」を自分の価値観の上に置くことです。
かなり根本的な発想の大逆転ですが。

目の前の人が助けを必要としている時に、「誰がやるの?」「誰が費用持つの?」と周りを見渡すのではなく、自分が進み出るのです。
「こんな人助けを続けてると、時間も労力も貯金もすぐに底をついちゃうよ!」と心配になりますが、正しい事をやり続けていると、時間と労力は湧き出てくるようになり、理解や後押しをしてくれる人もどんどん現れます。

インドは「giving」という価値がまだ生きています。私の恩師プージャ・スワミジは、インド全国で大勢の人々に教育や医療を提供する施設を作っています。

私もリシケシで「giving」に触れ、教科書や教材、食べ物等、そして教育の機会を与え続けています。

インドならではの体験「バンダーラ」
サドゥーやヴェーダを勉強する生徒たちに食事とダクシナ(お金)を捧げるという伝統です。
人生観ががらりと変わります。

まだほんの5,6年ですが、私が編集・印刷に関わった文献は数え切れないほどになりました。著書も10冊近くになり、世界中で使ってもらっています。大量印刷のスポンサーをしてくれる人も出てきて数千冊をアシュラムに寄付出来ました。これからもどんどん与え続けたいです。

与える立場に立つ為に大金持ちになる必要はありません。2ルピーしか持っていない乞食でも、となりの乞食に1ルピーを与える心の大きさを持てるのです。まず、小さなことから、自分の周りから始める。
優しさや心の余裕さえも、最初は持てなかったとしても、与えているうちに生まれてくるものです。
「giving」は今までの幸福基準に、新しい次元を開拓してくれます。



= 伝統から「ダルマ」という幸福価値を学び、実践する = 

日本は20世紀に文化も何もかなぐり捨てて資本主義社会に順応して、「より多くの生産と購買消費=より幸福」という価値観だけになってしまいました。

これはアメリカの価値観です。

ヴェーダーンタ用語でいうと、アルタ(security)とカーマ(desire)のみで、ダルマ(ethic, 道徳価値)が欠けているのです。

インドは文化財産が強すぎて、資本・競争社会への順応に時間がかかっているので、イラついた西側社会が「社会問題」とレッテルを貼っているのです。

日本だけでなく、世界全体で貨幣・物質的富の極化はより進められ、大多数はメディアに流されるがままに搾取され続けるでしょう。
メディアに流されるとは、正しい情報と考え方を得る努力をしていない、ということです。
発達した脳みそは、人間に与えられた特権です。思考力という特権を正しく使えた人は、人間として本当に豊かな人です。

政治と経済が私たちに与えてくれるのは、それぞれ、アルタ(security)とカーマ(desire)だけです。
それさえも、完全なレベルでは無理です。
どの程度のアルタを政府に保証してもらおうとしているのか、どの程度のアルタは政府に頼らずに自分で確保するべきか。
経済が与えてくれるカーマに、どの程度頼るべきか。

自分の幸福の基準にアルタとカーマの2次元しかなければ、政治と経済の在り方に振り回されます。
「ダルマ」という幸福価値を伝統から学び、実践しながら深めていくとき、人間としての本当の豊かさがあるのです。





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以上は、Facebookからの質問に対しての私からの回答でした。
多くの人にも届けたいと思ったのでシェアします。

ちなみに、質問は:

経済至上主義に左右されることなく豊かで文化的な生活を人類が差別なく生活することができる社会のために私たちは何をするべきなのでしょうか。
どう生きることが平和な世界にと繋がることができるのでしょうか。





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