2015年1月14日水曜日

[11] 1.ダルマ(その時その場所で自分が取るべき行動)

ヴェーダの国インドで最も尊ばれている標語の中に「アヒムサー・パラモー・ダルマハ」があります。サンスクリット語で、「アヒムサー(非暴力)が一番のダルマだ」という意味です。それほど、アヒムサーという価値観が重要なのです。

ダルマの基調はこの「アヒムサー」です。人間の判断基準、道徳的価値の全ては、このアヒムサーがベースになっています。


アヒムサーとは、全ての人間が持たされている知識です。人種や文化に関係無く、人間として生まれたら誰でも持っているので、教育を必要としない知識が、アヒムサーです。

人間、動物、植物など、全ての生き物は「自分は誰からも傷つけられたくない」という知識を持たされています。どんな生き物も「殺されたり、自分の体を切られたり、自分にとって大事なものを横取りされたりしてはいけない」ということを知っているので、逃げたり、攻撃したり、吠えたり、萎縮したりするのです。この知識は、生命体として生き永らえる為に必要な知識です。「そんなことをされたら嫌だと思いなさい」と教えられたわけでもないのに、それは嫌なこと、避けるべきことだと、どんな生き物でも知っています。

私達人間は、この知識に加えてもうひとつ、生まれながらに知っていることがあります。そのもうひとつの知識とは、「他の生き物も、自分と同じように、誰からも傷つけられたくない」という知識です。このことを「知らなかった」と言える人間はいません。なぜなら、人間としての体と心のひと揃えの中に、この知識が組み込まれているからです。神様に「汝殺すなかれ」と石版の上に彫ってもらわないと分からないことではありません。その知識は人間のDNAに刻み込まれているので、私達は教えてもらわなくても、既にそれを知っているのです。

自分がされたら嫌だと思うのと同じくらい、他の生き物だって、殺されたり、体を切り取られたり、追いかけられたり、閉じ込められたり、嫌なことを無理強いされたり、大事な人やものを取られたり、騙されたり、嘘をつかれたり、イヤミすら言われたりするのは嫌だと思っている。私はそのことを重々知っている。これが「アヒムサー」の知識です。知っているのだから、全ての人間と動植物に対して、どんなに微小でも傷つける行為を避けることを選ぶ。100%は無理でも、最小限に抑えることを選ぶ。この「アヒムサー」を最優先にした行動基準を「ダルマ」と呼びます。

アヒムサーの反対は「ヒムサー」です。人間は、アヒムサーの知識が与えられいるのにも関わらず、ヒムサーに甘んじてしまう弱さも持ちあわせています。自分の内側の不安や欲望に駆られたり、外からの圧力に押されてしまいながら、「自分が同じ事をされたら嫌だ」という感覚を麻痺させているのです。

なぜヒムサーをしてしまうかというと、「周りに痛みを負担させなくても、自分は十分に幸せな存在です」と言い切れないからです。詰まるところ、自分のことをつまらない人間だと信じているから、不安や欲望に操られ、外からの圧力より小さな人間として行動を選択しているのです。

精神的に成長して大きな人間になればなるほど、アヒムサーが実行しやすくなります。同時に、アヒムサーを実行すればするほど、その人は心の大きな人間へと成長するのです。

このアヒムサーを基調価値として、今この場所、この時に、自分の知り得る情報を判断力を駆使して選択した行為を、ダルマの行為と呼びます。

人間に与えられた特権である自由意志と、ダルマの行為の選択は、常に共にあります。ダルマの行為を選択するには自由意志が必要だからです。自由意志が自由であるほど、つまり人間が人間らしくあればあるほど、その人の行動はダルマの行為が優勢になります。

 自分には行動の選択が出来るということを忘れず、常にダルマの行為を選択するように努める生き方が、ヨーギーの生き方です。それが人間を精神的に成長させてくれるからです。



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