2015年3月15日日曜日

[19] b. パーパ(プンニャの反対)

プンニャの反対がパーパです。アダルマの行為とその結果を指してパーパと呼びます。アダルマに関しては前項で見ましたが、アダルマを代表するのが、ヒムサー(暴力)の行為です。

人間や動植物を傷つける行為全般を指して、ヒムサーと呼びます。直接的・間接的に命を奪ったり、安心して生きる場所を脅かしたり、嘘をついたり、少しでも嫌な気分にさせる言動全てのあらゆる形の暴力がヒムサーです。

日本で生活する現代人にとって、食用の為に動物を殺すことは必要最低限の殺生ではありません。インドの人口の大部分は、何世代も生涯食肉を口にすること無く健康に生きています。自分の食物としての選択に、動物を入れるべきかどうか、現代人は忙しい時間を割いてでも、ゆっくり考え直す必要があります。お店で売っているから、コマーシャルで美味しそうに宣伝してるから、レストランで出されているからといって、自分が動物を食べなくてはならない理由にはなりません。単なる無関心によるものだったり、周りのみんなが「いただきます」を殺生の免罪符に使えばよい、と言っているから、自分でも深く考えることなく、周りの言うことを自分でもオウムのようにリピートしているだけではないのか、向き合う時間を持ってみましょう。

アダルマの行為の中でもヒムサーが代表的なことから、一般的にはヒムサーの行為と、ヒムサーの行為から生まれる結果の両方を、パーパと呼びます。

パーパはプンニャの反対なので、不快と苦痛を経験させられる状況は、パーパを行った結果だと教えられています。

パーパの結果は生きている間に経験出来ます。死後に地獄に行くのを待たなくても良いのです。同じ一つの職場でも、ある人にとってはそこは天国で、また別の人にとってそこは地獄でもあります。人それぞれの経験が異るのは、プンニャとパーパの現われに違いがあるからです。


しかし、プンニャの経験も、パーパの経験も、どちらも永遠ではありません。時間の中で始まったり終わったりするものを経験と呼ぶのです。ゆえに、永遠の天国や永遠の地獄というものは無いのです。どんなプンニャやパーパでも、時間と共に消化され、遅かれ早かれ終わりが来るのです。